不妊治療(体外受精)をはじめるまでの経緯
体外受精を考えている方なら誰でも一度は耳にするクリニックKLC。
今回はそこに通うまでの経緯をまとめてみました。
10代のころから、不正出血が多く、生理ではない時もナプキンが必要な状態でした。
20代前半で受けた診断は卵管水腫。
まだ結婚や出産を控えているわけではなかったので、ピルを飲むという治療しか無く、ピルも飲んだり飲まなかったりという時期を数年過ごしました。
これらの不正出血や卵管水腫は、10歳の時に盲腸を悪化させ、腹膜炎をおこし手術をした時に癒着などが激しかったようで、それも原因の一つではないかと言われていました。
それだけではなく、元から婦人科系の機能が弱いというのもあると思います。
ストレスが重なると、下腹部が痛くなり水腫が腫れたり、一度は骨盤内炎症性疾患というのにかかり入院したこともあります。
免疫が下がるといつもきまってカンジダになっていました。
そんな20代を過ごし、26歳で結婚。
27歳の時に不妊治療スタート。
友人からKLCの話を聞き、迷わずそこに行きました。
普通の夫婦であればKLCにたどり着くまでにも、
夫婦間の考え方やステップアップのタイミング等の壁があるかと思いますが、
私の場合、この時には卵管が両方塞がっており、自然に妊娠するのは難しいだろうと思い、回り道をせずに体外に進むことを決断しました。
KLCで告げられたのは、
「まずは卵管摘出手術をしてから来てください。」
すぐに、治療を始められると思っていたのに出鼻をくじかれました。
それでもそう言われれば仕方ないと思い、
卵管水腫の検査等をしていた大学病院に行き手術の希望を伝えると、
なんと3か月待ち…
腹腔鏡による手術が終わり、生理が順調に3回来たところで、やっとKLCを受診することができました。
私の場合は20代のころから自然妊娠が人よりも難しいとわかっていたこともあり、
不妊治療に対する抵抗感はありませんでした。
それでも、どこかで自然にできたらいーなーという思いは少なからずあり、
ピルの服用をやめてタイミングでチャレンジしてみたり、
布ナプキンをつかってみたり、気功をやってみたりしました。
主人も私の身体のことを理解したうえでの結婚だったため、
体外受精という治療を受けるには恵まれた環境だったと思います。
ひと昔前なら授かれなかった命。
今のこの時代に生まれてきたからこそ授かれた命。
賛否両論ある体外受精だとは思いますが、私は母親になりたかった。
授かれるかもしれない医療技術があるのにチャレンジせずに後悔だけはしたくありませんでした。
数十年後に、もしかしたら体外受精で生まれてきた子供たちに何かしらの疾患や問題がが出てこないとは限りません。
「それでも、私はあなた達に会いたかった。母親になりたかった。ありがとう。」
と伝えたいです。